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ひとに寄り添うデザインの追求

デザインと年齢

「デザイナーは年を取ると駄目になる」

学生時代にメディアや講師や先輩や友人に刷り込まれるように教えられたことで、実際に社会人になってみると全然そんなことない、なんてことが結構あったりしますが、上のような台詞もその内の1つかも知れません。

冒頭の台詞は端的な表現ですが、少し補足すると、30歳も後半、中年と呼ばれる域に入ろうかという年齢になると、デザイナーはセンスが枯れて良い仕事ができなくなる。ということです。

もしかしたらこれを読まれている方の中にも、同じようなことを言った、あるいは言われた方がいらっしゃるかも知れませんが、皆さんはどう思うでしょうか?

中村はそうは思いません。全く思いません。その理由は2つ。1つには、デザインはセンスだけでできるものではないこと。そして2つ目は実際に年配の方の中にも良い仕事してる方が沢山いらっしゃるということ。(中村がお世話になった会社にも沢山いらっしゃいました。)

そうです、若い人から「おっさん」とか「おばさん」とか言われてたって、中村なんかが逆立ちしたって適わないようなデザイナーはいるんです。それは別に例外ではありません。

(言葉自体が曖昧で非常に定義し辛い言葉であるのですが、)勿論センスも大事です。でも歳を重ねることでしか得ることの出来ない物も確実にあるのです。ただ若いからという理由だけで若い人を重宝するようではその業界や会社は長続きしないでしょう。

それと同時に「ベテランだから沢山の貴重な経験を重ねてセンスもある」とか「若いから未熟者で使えない」なんてことはない、とも思います。

つまり何が言いたいかというと、年齢なんてものはデザイナーの力量を計る物差しにはならない、ということです。それが指し示す物が全くないとは言いませんが、「“真面目に努力をしながら”重ねた年数」や「“向上心を持った”若さ」というように条件付きで価値が出てくるのだと思います。

老いも若きもそれだけで駄目だとか良いだとか、硬直した考え方で人と相対するように仕事をしていると、どこか歪んでしまいます。

あまりいないとは思うのですが、もし「歳を取るとセンスが枯れる」なんてことを考えている人がいたら、そう思うのは勝手ですが、決して口にしないで欲しいと思います。特に、デザイナーを志す人に対しては言わないで欲しいな、と思います。

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デザインと大義名分

どうもご無沙汰してます、中村です。いつの間にやら年が明けてしまいましたね。別にめでたくもないので年始の挨拶を口にするのがひどく億劫です。去年、このブログでは挨拶してるんですが、かなり無理してたんだなぁとしみじみ…

時候の挨拶のような、普段さして気にもしていないことを口にしたり行動に移したりするのって凄くエネルギーを必要とします。自分で言っておきながら白けることも多々あります。

それは何も挨拶や世辞に限ったことではありません。例えば仕事で、自分が使ったことがない物や良いと思ってない物を商品として扱う時、そんな時は罪悪感や恥ずかしさすら覚えます。

例えば「エコ」なんてどうでしょう。それを謳うだけで、さもその仕事が誠実なものであるかのような印象を与えるアレです。猫も杓子も「エコ」で既に使い古された感すらあります。

デザインの世界でも同じく「エコ」という言葉はもはや必須といって良い程浸透しています。実際に環境を大切にすることはとても素晴らしいことだと思いますし、それを念頭にデザインすることはきっと良いことなんだと思います。

でも環境問題と真剣に取り組んでいるデザイナーなんて果たしてどれだけいるのかな?と疑問にも思います。

中村の周りにいるエコ大好きデザイナー達を例に挙げてみましょう。彼らの中にはエコな商品を作って賞を貰うほどの実力の持ち主もいて、普段から環境を大切にしようなどと力強く訴えていたりします。

ところが実際の生活は、ほんのすぐそこにあるコンビニに行くのにも車を使ったり、使い終わったパソコンをシャットダウンせずに放置したり、プリントアウトするのにも惜しむことなく紙を使います。

上記の行動だけを見て駄目だなんて全く思いません。そうではなく、エコが大切だと言いながら、その実それとは全く逆の生活を送っていることが駄目だと思うのです。

自分が大切にしていることを信念にするからこそ価値があるのであって、ウケが良いというだけで、そういうことを軽々しく口にすべきではないんじゃないかと思うのです。

耳障りの良い言葉は大義名分には持ってこいですが、まずは自分がそれに見合う人物にならないと。デザインの技術も大事ですが、それより以前に、本質を見失わない仕事との向き合い方をよくよく考えなければいけないな、と思います。

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webはデザインを変えるのか

前回「ちばロゴ」の記事を書いていて、webはこれからのデザインを変えられるだろうか?と少し考えてみました。誰でも発言できるwebという場所が現れたことで、デザイナー(作り手)と一般消費者(使い手)の間に意識のズレ、価値観の剥離が頻繁に起こりえることが実感としてわかるようになりました。

例えば、数年前に「CMのCM」というキャンペーンがありました。(キャンペーン自体は毎年継続しているみたいで、今年もやってます。)このキャンペーンに関して書かれている面白い記事をご紹介します。

紹介されている“某正直なチャンネル”の意見が全てだとは思いませんが、これは、何かと叩かれる某掲示板の中にだってこういった的を射た批判もあるという一例で、webの可能性を垣間見ることができます。

以前トンデモデザインという記事で紹介した、商品レビューを見ても、実際に使う人・使った人と作り手の間に大きなズレが生じていることが見て取れます。(実際はデザイナーも使い手側に属していますが)

どれもwebという場所・ブログや掲示板というツールがなければ表に出てこなかった意見ばかりです。それら一つ一つの意見が実際どこまでの影響力を持っているかと言えば、正直今はまだあくまで個人のつぶやきレベルに過ぎないでしょう。

そしてそれが大きな影響力を持つかどうかは、webというツールにでも消費者にでもなく、デザイナーや作り手側の企業の肯定的意見だけではなく、否定的意見に晒される覚悟や、それに対する謙虚な姿勢、小さな声でも拾い上げていく努力にかかっていると思うのです。

仮に膨大な情報全てに目を通すことは不可能だとしても、「ちばロゴ」のように顕著な意見は、良きにつけ悪しきにつけ自分の中に蓄積していかなければ、実用に耐えうるデザインはなかなか生まれてこないのではないでしょうか…

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デザインの素人なんていない

「デザインについては素人なので的外れなことを言うかもしれませんが…」

クライアントの方とデザインの話をしていると、たまに上のような言葉を聞くことがあります。デザインの素人とは“デザインについては専門的に勉強していない”という意味でしょう。でもよく考えてみると、デザインに素人と玄人ってあるのかな?と思います。

ここ数日、仕事でひらがなのロゴを作ることになり、参考になるようなロゴはないかと、書籍やサイトを探していると、そんなことを考えさせられるデザインに出会いました。それが以下のロゴ。

千葉県 ロゴ
【参考】 新しい千葉県ロゴの作成について

デザイナーは「仲條正義(なかじょうまさよし)」という方で、デザインの業界では非常に有名な方です。受賞歴も華々しく、業界の重鎮と言っても差し支えないでしょう。ところがその重鎮がデザインした千葉県のロゴの評判があまり芳しくなかったようです。

具体的な批判の内容は痛いニュース(ノ∀`)とその周辺記事をご覧になっていただくとして、主だった内容を以下に書き出します。

  • 洗練されたデザインって宣伝する割に全然洗練されてない
  • 税金の無駄遣い
  • とにかくダサイ。フォントそのまま流用のがマシ

ちなみにJ-CASTニュースの記事によると、

「デザインをやっている人たちには好意的な評価をいただいていますが、(これだけ反響を呼ぶのは)意外だった。意図していたところを踏まえると、広報効果としてはあまり…」

とのことで、どうやらデザイナーには受けが良かったようです。

当然、デザイナー以外の方でも「このロゴが良い」という方がいたり、話題になった時点で成功では?という意見もあるくらいなので、一概にこのデザインはダメということでもありません。個人的な好き嫌いの感情はあっても、(ロゴ)デザインの良し悪しは何で決まるのか?という問いにはなかなか答えを見いだせません。

しかしながら、そういうデザイン論が交わされる時、「何も知らないだろうから」ということで、いわゆる素人の意見は無視されがちです。でもデザインされたモノに見て・触れて・使うのはそのいわゆる素人なんです。その人たちの目線で語られることの中にもデザインの真実は含まれているんではないでしょうか…

事実、上のロゴの批判の中に、「ロゴなんかを変えるよりももっと実際的に変えなきゃいけない部分は沢山あるし、そっちに予算を割いて欲しい」なんてとても鋭い意見もあったくらいです。デザイナーよりもむしろそれ以外の方のほうが冷静に見てるんじゃないかな…とさえ思えます。

ですから、クライアントや多くのパートナーには「デザインについては素人なので…」なんて遠慮せずにどんどん意見を言って欲しいと思っています。

デザインをする上でデザインの素人・玄人の垣根なんて余計なモノはいりません。必要なものは目の前にある問題を解決しようとする姿勢と、そのためにクライアントとデザイナー、その他多くの仕事に携わる人たちが一丸となること、だと思います。

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似ているデザイン見つけたら

「ん?どこかで見たデザインだな…」

デザイン制作を進めていると、ふとそんな風に思い当たることがあります。

例えばJACO-BASSのロゴにも似ているデザインがあったりします。それがこちらのサイトに載ってあるCAO maru【カオマル】という商品のロゴ。

これは真似してそうなったわけではなくたまたまなんですが(本当ですよ?)、自分自身で作った物に対して、既視感を覚えることは正直言ってあまり気分の良いものではありません。

意図的に似せた(あるいは真似た?)のとは違い、結果的に似てしまったら、何だか自分のアイデアの底の浅さや視野の狭さを突きつけられたようなそんな感覚に襲われます。

しかしそんな場合でも中村はデザインを変更しようとは思いません。何故ならそれがクライアントの要求(JACOロゴの場合自分のチームへの想い)に対して今の自分が出せる最も有効な回答だと思っているからです。

それを「似ているから」という理由だけで、つまり自己のクリエイターとしてのエゴを満足させるためだけに変更することをどうしても是と出来ないのです。

当然、他の案を再検討する機会ではありますから、他に何か手がないかどうかは考えます。更に良いと思える回答(デザイン)が思い浮かべば、喜んでそっちの案を採用します。(あまりに似ていたらクライアントに迷惑がかかることだってありますしね)

でも残念ながらと言うべきか、力不足故にと言うべきか、中村の場合ほとんどそういうことは起こりません。(最終段階で見つけることが多いからでしょうか…)

同じようなことで、今までと同じことしてもつまんないというデザイナーがいます。これは他人だけでなく自分自身のこれまでをも省みて、どんな作品(や仕事)とも似せないようにしようという意志の現れだと思います。

それは大変素晴らしいことで、クリエイターとして得るものも大きいと思います。中村自身、大学時代は同じ事はしたくないと思いながら課題でも手を変え品を変えやってきましたし。

でも今はこれに対しても、結果的に似てしまったのならそれは決して悪いことではないと思っています。(テンプレート、十八番的に自らのデザインを使い回していては成長しませんが…)

要は表現すること自体を目的とするのか?それともその表現を手段にして何かを伝えることを目的にするのか?の違いだと思います。

オリジナリティだけに囚われず、自分(やクライアント)が伝えたいことが本当に伝わる表現、それを素直に模索することが一番大事なのかなと今は考えるようになりました。

とは言え、まだまだ未熟な中村が「俺の表現は常にベストな表現だ!」なんてこと口が裂けても言えませんけど…

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