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ひとに寄り添うデザインの追求

似ているデザイン見つけたら

「ん?どこかで見たデザインだな…」

デザイン制作を進めていると、ふとそんな風に思い当たることがあります。

例えばJACO-BASSのロゴにも似ているデザインがあったりします。それがこちらのサイトに載ってあるCAO maru【カオマル】という商品のロゴ。

これは真似してそうなったわけではなくたまたまなんですが(本当ですよ?)、自分自身で作った物に対して、既視感を覚えることは正直言ってあまり気分の良いものではありません。

意図的に似せた(あるいは真似た?)のとは違い、結果的に似てしまったら、何だか自分のアイデアの底の浅さや視野の狭さを突きつけられたようなそんな感覚に襲われます。

しかしそんな場合でも中村はデザインを変更しようとは思いません。何故ならそれがクライアントの要求(JACOロゴの場合自分のチームへの想い)に対して今の自分が出せる最も有効な回答だと思っているからです。

それを「似ているから」という理由だけで、つまり自己のクリエイターとしてのエゴを満足させるためだけに変更することをどうしても是と出来ないのです。

当然、他の案を再検討する機会ではありますから、他に何か手がないかどうかは考えます。更に良いと思える回答(デザイン)が思い浮かべば、喜んでそっちの案を採用します。(あまりに似ていたらクライアントに迷惑がかかることだってありますしね)

でも残念ながらと言うべきか、力不足故にと言うべきか、中村の場合ほとんどそういうことは起こりません。(最終段階で見つけることが多いからでしょうか…)

同じようなことで、今までと同じことしてもつまんないというデザイナーがいます。これは他人だけでなく自分自身のこれまでをも省みて、どんな作品(や仕事)とも似せないようにしようという意志の現れだと思います。

それは大変素晴らしいことで、クリエイターとして得るものも大きいと思います。中村自身、大学時代は同じ事はしたくないと思いながら課題でも手を変え品を変えやってきましたし。

でも今はこれに対しても、結果的に似てしまったのならそれは決して悪いことではないと思っています。(テンプレート、十八番的に自らのデザインを使い回していては成長しませんが…)

要は表現すること自体を目的とするのか?それともその表現を手段にして何かを伝えることを目的にするのか?の違いだと思います。

オリジナリティだけに囚われず、自分(やクライアント)が伝えたいことが本当に伝わる表現、それを素直に模索することが一番大事なのかなと今は考えるようになりました。

とは言え、まだまだ未熟な中村が「俺の表現は常にベストな表現だ!」なんてこと口が裂けても言えませんけど…

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